それで本当に特許を無効にできますか?
間違った思い込み
「ライバル社が、特許侵害の警告状を送ってきた。
これに対して、自社から積極的に反撃すべく、
そもそも、そのライバル社の特許は、(出願当時の)既存の発明から、簡単に思いつくから無効だ!
という反論をぶつけることにした。
特許庁への特許無効審判の申立も、行うことにした。
この場合、ライバル社の特許にぶつけていく、「既存の発明」のチョイスとしては、
とにかく、発明の構成(物自体)が、ライバル社の特許に一番近そうなものを選べばよい。
ライバル社の特許と、ぶつけた「既存の発明」の間で、
物自体としては似ているが、その背景にある技術的思想(アイデア)に多少差異があったとしても、
その程度のことは、一向にかまわない。
とにかく、物自体の構成として、一番近いものをぶつけておけば、
その程度の些細な差異は、簡単に埋められる(既存の発明から簡単に思いつく)と判断されて、
特許庁(や裁判所)は、ライバル社の特許を、必ず無効にしてくれるだろう。」
正しい心構え
「ライバル社の特許と、ぶつけていく「既存の発明」の構成が、全く同一ならともかく、
(似てはいるものの)少しでも差異がある場合には、
両者の背景にある技術的思想(アイデア)に大きな違いがあると、このことを理由として、
その少しの差異も、簡単には埋められない(既存の発明から簡単には思いつかない)
と判断される可能性がある。
ぶつける「既存の発明」のチョイスにあたって、
構成それ自体(物自体)が似ている発明を真っ先に探すのは当然だが、
それだけではなく、根本的な技術的思想(アイデア)が似ている発明はないか、
という視点からも検討すべき。
(根本的な思想にまで遡って、流れのいい無効のストーリーを描きやすい「既存の発明」を求めて、
実際に審判や訴訟の場で特許無効のロジックを組み立てる、弁護士・弁理士自身が、
特許調査にあたるサーチャーとも協働すべき。)」
解 説
発明は、技術的思想の創作であると言われます。
特許法における発明の定義に、公式に、(技術的)「思想」という言葉が使われています。
「思想」という言葉には、仏教思想だとか、孔子の思想だとか、マルクスの思想だとか、
浮世離れしていて、およそビジネスとは関係ないイメージがあります。
しかし、特許制度は、製造業ビジネスのど真ん中で、「思想」という言葉を掲げているのですね。
これって、よくよく考えると、興味深い気がします。
そして、発明(特許)が思想であるというのは、単なる建前でも、言葉遊びでもありません。
実際に、発明が思想であることを、しっかりと意識するか否かが、
具体的な特許事件の結果を左右することがあります。
この点について、最近、実に味わい深い事件(判決)がありました。
平成28年(行ケ)10079・知財高裁平成28年11月16日判決(判決全文・裁判所HP)です。
ごくごく簡単に説明しますと、
ブリヂストンが平成25年に出願したスタッドレスタイヤの発明に関する事件です。
この発明について、ブリヂストンが、特許査定を求めて審査請求を行いました。
そうしたところ、特許庁(審査官と審判官)が、
大昔の、平成2年に東洋ゴムが出願した実用新案を探し出してきて、
これを、ブリヂストン発明に対してぶつけて、
ブリヂストン発明は、既存の、東洋ゴム実用新案から簡単に思いつく、
だから特許にならない、と判断しました。
これに対して不満を持ったブリヂストンが、
特許庁の判断の取り消しを求めて知財高裁に提訴したところ、
知財高裁は、特許庁の判断を取り消しました。
つまり、ブリヂストン発明が東洋ゴム実用新案から簡単に思いつく、という特許庁の判断には、
誤りがある(簡単には思いつかない)、と知財高裁は判断したわけです。
何が、特許庁と知財高裁の判断を分けたのでしょうか?
ブリヂストン発明と、東洋ゴム実用新案は、構成自体(物自体)を見れば、確かによく似ています。
すなわち、タイヤのトレッド(地面と接する一番外側の部分)を二層のゴムで構成して、
外側層のゴムを、内側層のゴムに比して柔らかくしたスタッドレスタイヤ、
という点で、両者は共通しています。
もちろん、全く同一ではありません。
「外側層のゴムを、内側層のゴムに比して柔らかく(する)」ということを、
ブリヂストン発明においては、「弾性率」というパラメーターを用いて、
この弾性率の数字を特定することで表現しているのに対し、
東洋ゴム実用新案においては「ピコ摩耗指数」というパラメーターを用いて、
このピコ摩耗指数の数字を特定することで表現しています。
ブリヂストン発明において「弾性率」を用いて特定された、(相対的な)「柔らかさ」の度合いと、
東洋ゴム実用新案において、「ピコ摩耗指数」を用いて特定された、「柔らかさ」の度合いには、
同一ではなく、多少の差異はある。
この意味で、両者は全く同一というわけではない。
とはいえまあ、要するに双方とも、
タイヤのトレッド(地面と接する一番外側の部分)を二層のゴムで構成して、
外側層のゴムを、内側層のゴムに比して柔らかくしたスタッドレスタイヤ、
ということであって、やはり物としてはよく似ている。
これくらい似ているのであれば、
先に触れた、相対的な「柔らかさ」の度合いについての「多少の差異」も、
普通の業界人が普通の試行錯誤をすれば、簡単に埋まってしまうだろう。
つまり、ブリヂストン発明は、既存の東洋ゴム実用新案から簡単に思いつくから、特許にならない、
このように、特許庁は判断したわけです。
他方、
このような特許庁の判断には誤りがあるとして取り消した、
知財高裁(4部・髙部眞規子裁判長)の考えは、次のようなものです。
確かに、ブリヂストン発明と、東洋ゴム実用新案は、どちらも、
タイヤのトレッド(地面と接する一番外側の部分)を二層のゴムで構成して、
外側層のゴムを、内側層のゴムに比して柔らかくしたスタッドレスタイヤであり、
構成自体(物自体)としては、よく似ている。
しかし、両者の思想は、全く異なる。
具体的には、どうして、外側層のゴムを、内側層のゴムに比して柔らかくしたのか、
この点についての、両者の技術的思想(アイデア)が、全く異なる。真反対である。
ブリヂストン発明は、
スタッドレスタイヤの表面に、十分な接地面積を確保するために、
タイヤ表面(外側層)のゴムを柔らかくしている。
つまり、外側層の柔らかいゴムを、タイヤに必要な部分として、
積極的に生かして 活用しようというアイデアに基づいている。
他方、東洋ゴム実用新案は、
スタッドレスタイヤが所定の性能を発揮するために必要な、タイヤ表面の皮むき走行が、
なるべく手早く済むように(タイヤ表面が簡単に擦り減るように)、
タイヤ表面(外側層)のゴムを柔らかくしている。
つまり、外側層の柔らかいゴムを、タイヤに不要な部分として、
さっさと皮むきして捨ててしまおう、というアイデアに基づいている。
外側層の柔らかいゴムを、有用と見て生かすのか、不要と見て捨てるのか、
両者の技術的思想は、真反対といっていいほど異なっている。
そうである以上、いくら発明の構成(物自体)が似ているからといって、
東洋ゴム実用新案から出発して、ブリヂストン発明に簡単にたどり着くことはできない。
つまり、相対的な「柔らかさ」の度合いについての、両者間の差異は、
普通の業界人が普通の試行錯誤をしても、簡単に埋まるものではない。
ブリヂストン発明は、既存の東洋ゴム実用新案からは、簡単には思いつかない。
このように、知財高裁は判断したわけです。
実に、味わい深い判決だと思います。
発明が、単なる物のかたまりではなく、一つの技術的思想(アイデア)であることを、
改めて、思い返させられる判決です。
特許が思想であるということが、単なる机上の空論ではなく、
具体的な事件の帰趨を左右する現実であることが、よくわかります。
ここから、我々は、実践論として、何を学ぶべきでしょうか。
個人的には、紛争・訴訟の最前線に立つ弁護士・弁理士と、
特許調査を担うサーチャーの協働のありようについて、考えが巡ります。
特許を無効するための公知例調査においては、
もちろん、モノとして近いもの、即物的な構成が近似している発明を探す、
というアプローチは、当然ながら、極めて重要です。
(モノとして近ければ、普通は、思想も近いわけですし)。
ですが、このような、通常のアプローチでは、
モノとして近くても、どうも思想がズレているようなものばかりが引っかかる、という場合には、
多少、モノとして遠くても、構成がずれていても、
根底に横たわる思想(定性的な発想、着想)の似ている発明を探す、というアプローチを、
重層的に掛け合わせることが、必要なことのように思われます。
弁護士としても、紛争の最前線で、進歩性欠如の論理(ストーリー)の構築を担う以上、
どのような部品(引用発明)があればストーリーが構築しやすいか、という視点から逆算して、
サーチャーさんのサーチの方向性に注文を出すことは、
望ましいチームプレーとして、当然に期待されているところでしょう。
<突然、知財(特許・商標・著作権・意匠・不正競争防止法)の警告状が送られてきた。
訴訟にはしたくない。でも、今までと同じようにビジネスは続けたい。
知財については初心者だけど、どうやって対処すればいいのだろう?
このブログは、そういった方のための、転ばぬ先の杖です。
初心者の方にありがちな(でも、実は専門家にもありがちな)間違った思い込みを、
毎回一つずつ取り上げます。
どこが間違っているのか、じゃあどうすればいいのか、
弁護士・弁理士の北川修平が、詳しく解説します。>